堂ノ平村(読み)どうのひらむら

日本歴史地名大系 「堂ノ平村」の解説

堂ノ平村
どうのひらむら

[現在地名]大塔村大字堂平どうひら

てんノ川右岸、飛養曾ひようそ村の東に立地。十二村じゆうにそん野長瀬のながせ組に属する。慶長郷帳では十二村二〇〇石のうちに含まれ、幕府領延宝検地による村高は四三・三四石。嘉永七年(一八五四)の野長瀬組八ケ村宗門御改帳に戸数六、人口二六(男一一、女一五)とみえる。

村内の山腹に薬師堂がある。本尊薬師如来で、胎内に明暦四年(一六五八)の奉籠文書がある。「大和志」「大和名所図会」に十二村荘堂平村にありと記す。辻堂つじどう殿野とのの閉君とじきみ宇井うい猿谷さるたに・堂ノ平・飛養曾・引土ひきつち清水しみずの九村で建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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