大塔村
おおとうむら
面積:一一〇・九七平方キロ
吉野郡の中西部、大峰山脈の西斜面にある。北は西吉野村・天川村、東は上北山村、南は十津川村、西は野迫川村に接し、北西の一部は和歌山県に境する。西吉野村境に奥吉野と口吉野を境する天辻峠があり、天川村境に唐笠山(一一一八・一メートル)・滝山(一一四〇・四メートル)・天和山(一二八四・七メートル)・弥山(一八九五メートル、天川・上北山・大塔三村境)、十津川村境に下辻山(一三〇五・九メートル)がある。
大塔村
おおとうむら
面積:二一八・三七平方キロ
西牟婁郡の東部を占める。北は中辺路町、東は東牟婁郡本宮町・古座川町、西は上富田町、南は日置川町に接する。東境には野竹法師・大塔山がそびえ、その西斜面を占める典型的な山村。果無山脈に水源を発する日置川が中辺路町から入り、南流して日置川町へ流出する。日置川と支流の熊野川・前ノ川・将軍川を集める殿山ダム(合川ダム)がある。
大塔村
だいとうむら
[現在地名]御調町大塔
平木村の西南に位置し、村内を南から北へ御調川の支流大塔川が流れる。飛郷一ヵ所が北の仁野村内にある。東部にある千羽ヶ城山から弥生式土器が出土した。
慶長八年(一六〇三)三月一七日の大塔村免請負状(「御調郡誌」所収)によると、村高二五六・三二五石で給人は若山長兵衛、物成一六一・九九七石で免は六ツ三分であった。元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「大道村」とあり、高三二一・一五六石であるが、この中に大山田村、僧殿村(現府中市)を含む。
大塔村
おおとうむら
[現在地名]大分市上戸次 大塔
大野川右岸の村で、北の利光村から日向道が通る。念仏坂磨崖碑の天文一六年(一五四七)の年紀をもつ銘文(大分県金石年表)に戸次「応当村」とみえる。天正一四年(一五八六)一一月一五日、薩摩島津勢は大塔梨子尾山に布陣し、北側にある鶴賀城と対峙したという(大友家文書録)。江戸時代を通じて臼杵藩領で、正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば本高七七石余・出来高二三石余、田高四八石余・畑高五二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 