堂原遺跡(読み)つじどうばるいせき

日本歴史地名大系 「堂原遺跡」の解説

堂原遺跡
つじどうばるいせき

[現在地名]吹上町田尻・中原

海岸から約二・二キロ離れた洪積台地にある弥生時代終末期から古墳時代後期の集落遺跡。同じ台地にある華熟里けじゆくり遺跡・下田尻しもたじり遺跡とは同一集落となる。この台地の先端部には土付どつき遺跡が、南西には正円西しようえんにし遺跡がある。昭和四三年(一九六八)以来三回の発掘調査が行われた。四本以上の溝跡と一〇七軒の竪穴住居跡、貯蔵穴と思われる土坑二五が発見されている。溝跡は弧状に住居を囲んでおり、弥生終末期の溝跡は上幅約一メートル、深さ〇・七―一・七メートルの断面V字形を呈する。古墳時代の溝跡は上幅約二・五メートル、深さ〇・二―一メートル、あるいは上幅約一・五メートル、深さ〇・三メートルの断面U字形を呈している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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