日本歴史地名大系 「堂尾村」の解説 堂尾村どうのおむら 岡山県:津山市旧勝田郡地区堂尾村[現在地名]津山市堂尾勝南(しようなん)郡に属し、北は池(いけ)ヶ原(はら)村、東は為本(ためもと)村(現勝田郡勝央町)、南は宮山(みややま)村(現久米郡柵原町)。もと池ヶ原と一村で、慶長九年(一六〇四)に分村したという(東作誌)。元禄一一年(一六九八)幕府領となり、同一四年から宝永六年(一七〇九)まで甲斐甲府藩徳川綱豊領、その後幕府領となり、天明七年(一七八七)から寛政一一年(一七九九)まで下総国佐倉藩領、同年以後は幕府領で播磨国龍野藩預(美作国郷村支配記)。正保郷帳では田方一〇一石・畑方三五石、元禄一〇年の美作国郡村高辻帳では一七九石余、うち改出高四〇石余・開高二石余。 堂尾村どうのおむら 大分県:日田市堂尾村[現在地名]日田市堂尾(どうの)南内河野(みなみうちがの)村の西方、筑後国境に立地する。慶長六年(一六〇一)の予州替地御知行所目録(佐伯藩政史料)に「たうの尾村」とみえ、高二六七石余。同七年の日田郡・玖珠郡御預米帳(同史料)には米一二石余「たうのお村」三四郎などとある。同年の玖珠郡・日田郡御蔵入目録(同史料)では石井(いしい)村と併記され、堂ノ尾村と記される。慶長一三年当村二六七石余が筑後柳川藩主田中隼人室領になったとされるが(「豊西説話」「日田記」など)、慶長豊後国絵図に堂尾村とあり(村高の記載なし)、筑前福岡藩黒田氏領となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by