県北部の旧美作国の中心にあたり、古代から美作地方の政治・経済・交通の中心地。吉井川水系によって形成された津山盆地の中央に立地する。東西に平野部が連なり、北は丘陵・原野地帯から中国山地の南縁に沿い、南は吉備高原に接する。東は
「森家先代実録」に「慶長九甲辰年春 鶴山ヲ津山と御改、築城之儀定り」とあり、慶長九年(一六〇四)森忠政が
中国山地中央部では旧石器時代の遺跡が発見されているが、東西に続く盆地帯に位置する市内では、
古墳時代になると、美作地域のなかで最も大きい平野面積を占める市内には優勢な古墳をはじめ、大小多数の古墳群が残される。初期の古墳として注目されている
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報