日本歴史地名大系 「堂新田」の解説 堂新田さやどうしんでん 栃木県:河内郡上三川町堂新田[現在地名]上三川町鞘堂東を田(た)川、西を姿(すがた)川によって限られる宇都宮西台地上の中央に位置し、西を日光街道が南北に通り、当地で日光東街道と分岐する。東は上神主(かみこうぬし)村、西は下古山(しもこやま)村(現下都賀郡石橋町)、南は大山(おおやま)村、北は茂原(もばら)村(現宇都宮市)。地名の由来は、康暦二年(一三八〇)宇都宮氏と小山氏の裳原(もばら)(茂原)での合戦のとき、当地内に戦死者の太刀の鞘を埋めて供養したことによるという。現在も残る鞘堂地蔵はこのとき建立された堂宇と伝える。元禄六年(一六九三)以前のものと推測される宇都宮藩領知村々書上(佐藤正重文書)に村名がみえ、高七〇石。元禄郷帳・天保郷帳では下古山村の枝郷と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by