石橋宿(読み)いしばししゆく

日本歴史地名大系 「石橋宿」の解説

石橋宿
いしばししゆく

[現在地名]石橋町石橋

日光街道宿駅で、北の雀宮すずめのみや宿(現宇都宮市)、南の小金井こがねい宿(現国分寺町)に継立てた。宿村大概帳によれば往還の長さ八町五〇間、宿内町並は南北五町二八間で、宿内人数男一九二・女二二二、家数七九。宿の中ほどに本陣脇本陣があり、建坪は本陣が一一八坪、脇本陣が一四八坪でいずれも門構えで玄関付き。旅籠屋三〇軒のうち大六軒・中九軒・小一五軒。なか町に高札場一ヵ所。上町下町には人馬問屋場が各一ヵ所ずつあり、年寄二人・帳付三人・馬指三人が毎日詰めた。宿建人馬二五人・二五疋のうち囲人馬は各五。賃銭は一里半の小金井宿まで荷物一駄・乗掛荷人それぞれ五八文、軽尻馬一疋三七文、人足一人二九文。一里半五町の雀宮宿までは荷物一駄・乗掛荷人それぞれ六五文、軽尻馬一疋四三文、人足一人三二文。木賃銭は主人一人三五文、召仕一人一七文、馬一疋三五文であった。「日光道中略記」によれば、当宿の名主・本陣・問屋は、宇都宮氏の支城多功たこう(現河内郡上三川町)城主旧臣が勤めていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報