日本歴史地名大系 「堂森遺跡」の解説 堂森遺跡どうもりいせき 山形県:米沢市堂森村堂森遺跡[現在地名]米沢市万世町堂森比丘尼平(びくにだいら)遺跡の東方五〇〇メートルに位置し、羽黒(はぐろ)川の形成した扇状地の扇端近く、標高約二七七メートルの地点にある。八幡原(はちまんばら)24遺跡・清水北(しみずきた)C遺跡ともいい、桑山(くわやま)遺跡群の一。縄文時代早期―平安時代の遺跡。昭和四五―五〇年(一九七〇―七五)に発掘調査され、縄文時代早期の田戸上層式期一棟・中期大木10式期一棟と晩期の大洞CB式期一棟の竪穴住居跡・石組炉・竪坑、弥生時代中期堂森式期の再葬墓・土壙墓・柱穴状遺構、平安時代の竪穴住居跡・竪坑集石遺構が検出された。このうち弥生時代中期の遺構群は大型土壙を中心に、その周りを小型の土壙数基が囲む配置がみられる。三八基の土壙中、大型の七基から相当量の壺・蓋・坏形の弥生土器、石鏃・石槍・細形碧玉製管玉などが出土した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by