堤崎村(読み)つつみさきむら

日本歴史地名大系 「堤崎村」の解説

堤崎村
つつみさきむら

[現在地名]上尾市堤崎

中新井なかあらい村の西、大宮台地指扇さしおうぎ支台上にある。南部はかも川支流の谷地を境に清河寺せいがんじ(現大宮市)。上尾宿から大谷本郷おおやほんごう村を経て西に向かう道が、大宮宿・与野方面から北上する脇道と村の中央で交わる。足立郡平方ひらかた領に属する(風土記稿)。田園簿では田四九石余・畑六二石余、岩槻藩領。延宝九年(一六八一)収公され、以後幕府領。なお国立史料館本元禄郷帳では旗本小川氏と幕府領の二給とある。検地は元禄七年(一六九四)に実施され、現存する検地帳(安藤家文書)の田畑屋敷分は一〇九石余・一七町六反余、屋敷持二一軒。寛文五年(一六六五)の上尾宿助馬調(「絵図面村々高」田中家文書)では勤高一二七石・役家五軒。


堤崎村
つつみざきむら

[現在地名]猪苗代町磐里いわさと

百目貫どうめき村の西に位置し、川西組に属した。村名はかつて長瀬ながせ川が当地付近を流れていた頃に堤を築いたことに由来するという(猪苗代郷土誌稿)。貞永元年(一二三二)猪苗代氏の一族三浦四郎左衛門盛秋が当地に柵を築いたと伝える。現在、集落墓地の前にたてうちという字地があり、同所が柵跡とされる。貞享元年(一六八四)の会津領高辻帳(喜多方市立図書館蔵)に村名がみえ、高二七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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