日本歴史地名大系 「塔寺村」の解説 塔寺村とうでらむら 福島県:河沼郡会津坂下町塔寺村[現在地名]会津坂下町塔寺西は丘陵、東部は水田地帯が開け、慶長一六年(一六一一)の会津大地震後は越後街道が通る。東は新館(にいだて)村、北は見明(みみよう)村。村名はかつて高寺(たかてら)が栄えた頃、村内に金をちりばめた壮麗な塔があったため小金塔村といったが、のち塔寺村と改めたという(新編会津風土記)。当地には高寺への本道があり大門があったと伝え、大門(だいもん)の字名が残る。心清水(こころしみず)八幡神社および立木(たちき)観音の門前町として早くから開けていたと思われる。「塔寺長帳」によれば、永正一五年(一五一八)七月七日「町寺中之物とも」と朝立(あさだち)村山守との間で、入会山をめぐる相論があり、朝立村山守は黒川(くろかわ)(現会津若松市)へ出訴した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by