塚原保(読み)つかはらほ

日本歴史地名大系 「塚原保」の解説

塚原保
つかはらほ

庄川右岸、現新湊市の寺塚原てらつかはら沖塚原おきつかはらを遺称地とし、その一帯に比定される。現富山市・婦負ねい婦中ふちゆう町の塚原とする説もあるが、新湊市が有力であろう。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に武田下条殿として越中国塚原保段銭五〇〇文とある。武田下条は幕府奉公衆で、各番帳には三番衆としてみえる(「永享以来御番帳」など)。応永一九年(一四一二)一〇月一七日の斯波満種書下案(東寺百合文書)によれば、京都東寺造営棟別銭徴収に際し徴収に協力している斯波氏は、礪波となみ野尻のじり(現福野町)の給主であり、在京者である武田七郎次郎に平均棟別銭一疋の徴収を通告している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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