塚野目遺跡(読み)つかのめいせき

日本歴史地名大系 「塚野目遺跡」の解説

塚野目遺跡
つかのめいせき

[現在地名]天童市塚野目

塚野目集落の北(A遺跡)および南東(B遺跡)にかけて立谷たちや川扇状地扇端部の湧水帯上に広がる弥生・古墳時代から平安時代にわたる集落遺跡。標高九五メートル前後。伝承では塚野目集落はもとこの地にあったという。かつて多くの塚が付近に散在していたことが地名の由来ともいい、失われたこれらの塚が古墳だったとする推察もある。A遺跡では断片的ながら弥生時代後期天王山式期の土器がみられ、続く古墳時代前期の宮町および谷柏式期の集落遺跡の成立の時期を示す。南北方向に走る溝や一辺五メートルの方形竪穴住居跡が確認され、出土した壺・甕・坩・高坏形の土師器は、一部宮町式を含み、大半は五世紀代の谷柏式期に属する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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