塩分町(読み)しわくまち

日本歴史地名大系 「塩分町」の解説

塩分町
しわくまち

[現在地名]弘前市塩分(しおわけ)町

城の南側に位置し、元大工(もとだいく)町から新(あら)町の坂に至る東西の道筋の町並。北は上白銀(かみしろがね)町、南は森(もり)町、西は茂森(しげもり)町に接する。

正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋として町割されている。慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)に「しわく町」として三〇軒の屋敷割があり、境屋・菱屋・村上屋など屋号のある商家のほか、桶屋・煙草屋などが軒を連ねる。町内南側の道筋は「しわく町うら町」で、武家屋敷が記される。

国日記延宝五年(一六七七)九月四日条によれば、大火があり親方(おやかた)町とともに町内も全焼し、町屋八五軒と侍屋敷一〇軒が焼亡したが、この火災ののち町内が新たに形成された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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