20世紀日本人名事典 「塩月桃甫」の解説
塩月 桃甫
シオツキ トウホ
大正・昭和期の画家
- 生年
- 明治19(1886)年
- 没年
- 昭和29(1954)年1月30日
- 出生地
- 宮崎県児湯郡三財村(現・西都市)
- 本名
- 塩月 善吉
- 旧姓(旧名)
- 永野
- 別名
- 雅号=木兆(モクチョウ),痴銭(チセン)
- 学歴〔年〕
- 宮崎県師範学校卒,東京美術学校師範科卒
- 主な受賞名〔年〕
- 宮崎県文化賞〔昭和28年〕
- 経歴
- 宮崎県師範学校卒業後、23歳の時塩月家の婿養子となり、同年東京美術学校師範科に入学。卒業後、大阪、松山で11年間教職に就いたのち、大正10年35歳の時台湾に渡る。以来終戦までの25年間1度も帰国せず、台湾美術界の重鎮、教育者として台湾総督美術展覧会(台展)を創設するなど振興と近代化に貢献した。昭和21年裸一貫で帰国。敗戦の混乱と飢餓の中にあっても精力的な創作意欲を持ち続け、ルオーを思わせる重厚な色彩と、奔放な筆致の作品を多数制作、フォービズムの異才として知られた。傍ら水墨画も得意とし木兆、痴銭の号で活躍。傍ら宮崎大学の講師として宮崎の美術界に貢献。また天真爛漫な人柄が慕われ、全国的な後援会組織も結成された。29年心臓弁膜症で急逝。死の前年に描いた未完の絶筆「裸婦」が宮崎県立美術館に収蔵されている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報