日本歴史地名大系 「塩穴庄」の解説
塩穴庄
しあなのしよう
子領としてみえ、大宮院が領家職をもち、女宮と思われる按察局に庄官職が与えられていることが知られる。正慶元年(一三三二)六月日の臨川寺寺領目録(天龍寺文書)では、大納言近衛基嗣から土御門天皇の皇子尊助法親王(天台座主・青蓮院門跡)に譲られ、後嵯峨天皇を経て大宮院に渡り、さらに昭慶門院を経て後醍醐天皇の皇子世良親王に相伝された。当時塩穴庄の本所は奈良春日社、領家職は世良親王(大宰帥)家で、年貢は六〇(石か)、その他雑物を加えて一〇〇(石)ばかりの地であったという。地頭は二宮右衛門次郎入道。
亀山天皇離宮跡(現京都市右京区)に後醍醐天皇は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報