塵浜村(読み)ちりはまむら

日本歴史地名大系 「塵浜村」の解説

塵浜村
ちりはまむら

[現在地名]羽咋千里浜町ちりはままち

羽咋村の西、現羽咋市西端に位置し、日本海に臨む海浜に立地。江戸時代前期は漁師小屋が散在する浜で無高であったが、羽咋村に集められた年貢米・塩の積出湊として発達、また物資集散地として栄えた(羽咋市史)。枝村に塵浜出ちりはまで村がある。正保郷帳に村名がみえ、高一八石余、田はなく、畑方一町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では無高、小物成は外海船櫂役二八七匁(うち二一匁出来)、猟船櫂役一三五匁(ほか四二匁退転)、網役二六〇匁、間役二二二匁(退転)、地子銀三五三匁(三箇国高物成帳)。江戸中期以降砂丘地開発が進行、文化元年(一八〇四)地子銀負担をやめ、高入村になった(加藤文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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