日本歴史地名大系 「境新田村」の解説 境新田村さかいしんでんむら 山形県:東田川郡余目町境新田村[現在地名]余目町余目新田(あまるめしんでん)余目新田村の北西に接し、北流する北楯大(きただておお)堰両岸にまたがる。文禄二年(一五九三)、飽海(あくみ)郡荒瀬(あらせ)郷の工藤兵右衛門尉晴重・小川与兵衛らによる開発と伝えられる(余目新田郷土誌)。万治二年(一六五九)の検地帳(余目新田区有文書)では当地は兵右衛門(ひようえもん)新田とされており、これが古名と思われる。高三五石余。貞享四年(一六八七)の余目新田村境新田村卯之切添検地帳(同文書)に村名がみえる。 境新田村さかいしんでんむら 福島県:大沼郡会津高田町境新田村[現在地名]会津高田町 境新田・村西(むらにし)・村南(むらみなみ)宮(みや)川扇状地上にあり、北は高田村、南は永井野(ながいの)村。両村の境に造られた新田であるための村名。もとは伊佐須美(いさすみ)神社の宮林であったが、寛永一三年(一六三六)高田村大火の復興策として、会津藩主加藤氏が命じ、宮林を伐ってその跡を新田として開いたという(新編会津風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by