士別屯田兵村
しべつとんでんへいそん
明治三二年(一八九九)屯田兵第三大隊第五中隊が入地して成立した兵村で、現在の大通北・東一条北・東二条北・東三条北・東四条北・西一条北・西二条北・西三条北に位置した。明治三二年七月、屯田兵一〇〇人とその家族六二二人が士別に入地した。剣淵屯田兵村(現剣淵町)とともに最後の屯田兵入地であった。兵屋は大通りを中央にして東西に分けられ、東側は大通り筋に二〇戸、その東に東一〇戸と東二〇戸が建てられ、西側には大通り筋に二四戸、その西に西六戸と西二〇戸が建てられた。屯田兵の出身県は二八県を数え、宮城県一八戸・福島県一一戸が多い(士別市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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