士別(読み)シベツ

デジタル大辞泉 「士別」の意味・読み・例文・類語

しべつ【士別】

アイヌ語で、大きい川すなわち本流の意のシ‐ペッから》北海道北部、名寄なよろ盆地南部の市。明治32年(1899)屯田兵とんでんへい入植。米作中心の農業畜産が盛ん。平成17年(2005)9月朝日町合併。人口2.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「士別」の意味・読み・例文・類語

しべつ【士別】

北海道北部の地名天塩(てしお)川の上流域にあり、明治三二年(一八九九)、屯田兵約一〇〇戸が入植し、本格的な開拓が始められた。稲作酪農ほかサトウダイコン栽培、製糖工業が盛ん。寒冷な気候を利用して、耐寒試験を行なう企業も多い。昭和二九年(一九五四市制

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改訂新版 世界大百科事典 「士別」の意味・わかりやすい解説

士別[市] (しべつ)

北海道北部の市。2005年9月旧士別市と朝日(あさひ)町が合体して成立した。人口2万1787(2010)。

士別市東部の旧町。上川支庁の旧上川郡所属。人口1926(2000)。名寄盆地の南東縁,北見山地の西斜面に位置し,天塩川の最上流部を占める。1949年上士別村から分村,母村の東に位置することから朝日と名付けられた。天塩川とその支流に沿ってわずかな平たん地が開け,耕地率は3%にとどまる。1905年帝室御料地の開放以後入植が行われ,北見山地の森林資源に依存する林業地帯で,32年の森林鉄道開通(現在は廃止)はこの地の国有林経営の一画期であった。農業は水田のほか酪農,ビート栽培など。天塩川上流部をせき止めた岩尾内ダムは71年竣工の多目的ダムで,自然林を背景とする観光地ともなり,天塩岳一帯は78年道立自然公園に指定された。

士別市西部の旧市で,名寄盆地南部の中心都市。1954年士別町と上士別,多寄(たよろ),温根別(おんねべつ)3村が合体,市制。人口2万3065(2000)。1899年最後の屯田兵村が置かれ,99戸が入植して本格的開拓が始まった。産業の中心は農業で,天塩川流域一帯の盆地床は水田地帯である。丘陵地もよく開かれてジャガイモ,テンサイをはじめ多様な作物が作付けされている。1935年設立の日本甜菜製糖の工場は,道内で現在操業中の製糖工場の中では最も歴史が古く,ほかに乳業,製材などの工場がある。市営のめん羊牧場は200haの規模をもち,サフォーク種など約30種の珍しいめん羊が飼育展示されている。JR宗谷本線が通じる。
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