明治期の北海道に配備された、同地の警備と開拓を目的とする土着兵。平時は農耕に従事し、有事の際は軍隊を組織して参戦した。対露問題を抱えた開拓地北海道には、明治初年若干の警備兵が函館(はこだて)に配置されているのみであった。このため開拓使は、政府に常備兵の配置を要求したが、当時の窮迫した財政事情のもとでは実現は困難であった。その打開策として提起されたのが屯田兵制度の創設である。1873年(明治6)11月、開拓次官黒田清隆(きよたか)は、東北地方の士族で「強壮ニシテ兵役ニ堪ユヘキ者」を北海道に挙家移住させ、「且(かつ)耕シ且守ル」ことを骨子とした屯田兵設置の建議を政府に提出し、ほぼ全面的に容認された。開拓使は屯田兵例則を定めるとともに屯田事務局を設け、75年道内および青森、酒田(さかた)、宮城の東北3県士族から屯田兵を募集、198戸、965人を選抜して琴似(ことに)兵村(現札幌市内)に移住させた。76年にも東北5県から275戸が山鼻(やまはな)兵村(同上)などに移住し、両兵村で第一大隊を編成した。屯田兵には、移住旅費、家具、農具、兵屋のほかに、移住後3年間は米、塩菜料が支給されたが、馬鈴薯(ばれいしょ)や雑穀を常食とする者も多く、一般の移民からも「薯(いも)屯田」とよばれた。このほか農耕地(約1.67町、のち3町)の給与や小銃など武器の貸与がある屯田兵は、典型的な保護移民であり、82年の開拓使廃止時には予算不足もあって509戸、墾成地662町と計画を下回っていたが、3県時代以後徐々に拡充された。86年北海道庁が設立され、88年永山武四郎(ながやまたけしろう)屯田兵本部長が第2代道庁長官を兼任すると、その下で屯田兵の大幅な増強と制度的改革が計画され、90年服役期間の改正、応募資格の士族から平民への拡大、騎・砲・工兵の特科隊新設が実現した。91年以降、兵村はおもに内陸の上川(かみかわ)盆地(旭川(あさひかわ))を中心に設置され、従来の士族授産的屯田から農業開拓に重点を置く平民屯田の方式に転換し一定の成果をあげた。しかし日清(にっしん)戦争開始後の95年、屯田兵主体の臨時第七師団が編成され、翌年正式に設置された。また、道庁時代になると、北海道移民もしだいに増加傾向をみせ、このため屯田兵の募集は1900年(明治33)以降中止され、現役兵が皆無となった04年には、屯田兵条例も廃止された。屯田兵の移住総数は37兵村で、計7337戸3万9911人(1875~99)である。
[桑原真人]
『上原轍三郎著『北海道屯田兵制度』(1914・北海道庁)』
1875年から1904年にわたって,北海道の警備・治安にあたることと農業開拓との二つの任務を兼ねた土着の兵団。1874年10月の屯田兵例則にもとづき,翌年札幌郊外に琴似兵村がつくられたのが初めで,以後山鼻,江別,篠津,野幌,新琴似など札幌の周辺や輪西(室蘭近傍),和田(根室近傍),太田(厚岸近傍),滝川などに士族を成員とする兵村がおかれた。1兵村の基準構成は200戸1中隊で,兵員と家族のための兵屋と将校・下士官のための官舎,中隊本部や学校,社寺,商店のための敷地その他の付属施設のほか,およそ兵員当り0.5haから3ha程度の支給耕地を備えたが,支給地の開墾を終わったものには追給地が与えられた。85年には屯田兵条例が公布された。90年以降,兵員の族籍を問わないいわゆる平民屯田の時期に入り,兵村の配置も空知支庁管内,上川支庁管内,網走支庁管内へと広がり,内陸開拓の前線をおし進めた。軍隊的役割を果たした事例は西南戦争への従軍と,日清戦争時の臨時第7師団編成とがあり,その他臨機に治安維持的役割を果たしたが,開拓的役割が(とくに平民屯田においては)最大の機能であった。96年に正規軍としての第7師団が設置されたため,1900年以降は兵員の募集を停止し(それまでの総兵数は37中隊7300余戸),04年には屯田兵条例を廃止した。それによって,屯田兵制度は終止符を打ち,兵村は一般村の中にその伝統を保ちながら,兵員の離散や新入植者の加入により,急速にその実体を変化させた。
執筆者:永井 秀夫
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北辺防備と開拓をかねて北海道で実施された土着兵制度。1873年(明治6)12月開拓次官黒田清隆の建白により決定。75年8月最初の屯田兵村が札幌郊外の琴似(ことに)に設置され,宮城・青森・酒田各県および北海道の士族,198戸965人が入植した。90年応募資格を士族から平民に拡大した。1900年募集中止,04年9月屯田兵条例が廃止されるまで,25年間に入植した屯田兵村は37カ村,兵数7337戸,開墾実績2万382町歩であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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