改訂新版 世界大百科事典 「壬生家」の意味・わかりやすい解説
壬生家 (みぶけ)
(1)本姓小槻(おづき)氏。鎌倉時代の初めより左大史,算博士および主殿(とのも)頭を世職とした地下(じげ)官人家。平安中期以降,太政官においては五位の左大史が左右両弁官局の史以下の官人を掌握し,大夫史あるいは官長者,官務とよばれるようになり,平安後期以降は算道出身の小槻氏が大夫史=官務の地位を世襲独占するに至った。ついで1144年(天養1)小槻政重が没した後,その子師経・永業・隆職(たかもと)の3兄弟が相ついで官務となり,さらに永業流の大宮家と隆職流の壬生家が,氏長者と官務の地位を争って室町末期に及んだ。しかし1551年(天文20)大宮伊治の没後大宮家は断絶し,官務家は壬生一流に帰し,江戸時代には地下官人を率いて朝儀,公事の運営に当たり,明治に入って華族に列し,男爵を授けられた。家号は隆職以来の居所によるが,隆職は主殿頭を兼任してこれを同家の世職とし,官中所領および主殿寮領の拡充に努め,また邸内に文庫を建て,官文書の管理・伝世を図った。壬生家が管領知行した便補保(びんぽのほ)や荘園のうちいま知りうるものだけでも,官中所領21,主殿寮領12,その他の家領等7を数え,相伝の記録・文書類の大半は現在宮内庁書陵部に蔵し,一部は京都大学文学部に収蔵されている。
→小槻氏
(2)本姓藤原氏。江戸時代に藤原氏北家の庶流園家(そのけ)から分かれた堂上家。霊元天皇の外祖父園基音の末男基起が分立して葉川を称し,その曾孫俊平が壬生と改称したのに始まる。家格は羽林家で,近衛中,少将より参議ないし権中納言に至るのを官途とし,家禄は130石。幕末維新の交,七卿落の一人である基修は国事に奔走して勲功をたて,明治に入って華族に列し,伯爵を授けられた。
執筆者:橋本 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報