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壱演 いちえん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

壱演 いちえん

803-867 平安時代前期の僧。
延暦(えんりゃく)22年生まれ。真言宗。もと嵯峨(さが)天皇の内舎人(うどねり)。承和(じょうわ)2年薬師寺の戒明(かいみょう)について出家し,翌年真如(しんにょ)に灌頂(かんじょう)をうける。貞観(じょうがん)2年皇太后藤原順子の看病にあたる。6年太政大臣藤原良房の病の平癒に功があり,7年権(ごんの)僧正,奈良超昇寺の座主(ざす)となった。貞観9年7月12日死去。65歳。京都出身。俗名は大中臣(おおなかとみの)正棟。

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朝日日本歴史人物事典の解説

壱演

没年:貞観9.7.12(867.8.15)
生年:延暦22(803)
平安前期の真言宗僧。京都の人。俗名は大中臣正棟。内舎人となったが,2兄の死にあい甥の国雄(定進)と共に出家。薬師寺の戒明に従い,承和2(835)年または3年に受戒。以後『金剛般若経』の読誦を続けた。東大寺の真如から密教を学び,真如の創建した奈良・超昇 寺の座主となる。皇太后藤原順子,太政大臣藤原良房の病気平癒に功があり,貞観7(865)年に権僧正に直任された。無欲で居所を一定せず,市井や船に身を寄せたが,一老女から土地を与えられ,良房の援助を受けて同8年,山城(京都府)に相応寺を建立した。翌年,船上で遷化し,薬師寺で供養が行われた。諡は慈済。

(岡野浩二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の壱演の言及

【諡】より

… 僧侶の場合の諡には,法名風諡,大師号,国師号などがあった。法名風のものとしては,867年(貞観9)に壱演に慈済と謚したのに始まるが,その数は歴史を通じて数名に過ぎなかった。慈円に賜った慈鎮も,諡である。…

※「壱演」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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