朝日日本歴史人物事典 「壱演」の解説
壱演
生年:延暦22(803)
平安前期の真言宗僧。京都の人。俗名は大中臣正棟。内舎人となったが,2兄の死にあい甥の国雄(定進)と共に出家。薬師寺の戒明に従い,承和2(835)年または3年に受戒。以後『金剛般若経』の読誦を続けた。東大寺の真如から密教を学び,真如の創建した奈良・超昇 寺の座主となる。皇太后藤原順子,太政大臣藤原良房の病気平癒に功があり,貞観7(865)年に権僧正に直任された。無欲で居所を一定せず,市井や船に身を寄せたが,一老女から土地を与えられ,良房の援助を受けて同8年,山城(京都府)に相応寺を建立した。翌年,船上で遷化し,薬師寺で供養が行われた。諡は慈済。
(岡野浩二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報