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菅野真道 すがののまみち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

菅野真道
すがののまみち

[生]天平13(741)
[没]弘仁5(814).6.29.
平安時代の学者。『続日本紀』の編纂者。延暦4 (785) 年左兵衛佐兼東宮学士,同9年図書頭兼伊予守となり,菅野朝臣を賜わった。以来,官位は昇進し,同 10年正五位下,同 24年参議左大弁,翌年大宰大弍,大同4 (809) 年従三位,弘仁2 (811) 年病気のため 71歳で致仕。その間の延暦 16年『続日本紀』を完成。また造宮亮 (すけ) として平安京建設に参画した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菅野真道 すがのの-まみち

741-814 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)13年生まれ。百済(くだら)(朝鮮)系渡来人の子孫。延暦(えんりゃく)9年津連(つのむらじ)から菅野朝臣(あそん)に氏姓をあらためることをゆるされる。桓武(かんむ)天皇の信任をえて,安殿(あて)親王(のちの平城(へいぜい)天皇)の東宮学士,左大弁となり,24年参議。同年藤原緒嗣(おつぐ)と天下の徳政を論じた。「続(しょく)日本紀」などの編修に参加。従三位。弘仁(こうにん)5年6月29日死去。74歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

菅野真道

没年:弘仁5.6.29(814.7.19)
生年:天平13(741)
奈良末・平安初期の公卿桓武天皇の側近。津山守の子。延暦9(790)年,津連から菅野朝臣に改賜姓された。桓武天皇(の母)と同じ百済系渡来氏族の出であったことから信任を得,延暦4年以後,安殿親王が即位(平城天皇)するまで東宮学士を務める一方,平安造都に当たっては,長岡京時代以来の民部省の上司和気清麻呂とコンビを組み,造宮長官(のち造宮亮)として事業を推進した。延暦24年参議となり,同年12月,桓武天皇の面前で参議藤原緒嗣と「良い政治とは何か」を論じた(「徳政相論」)際,造都事業の中止を主張する緒嗣に強硬に反対した。桓武没後,観察使(山陰道,東海道),宮内卿などを歴任したが,弘仁2(811)年病気を理由に致仕。いまの高台寺(京都市東山区)辺りにあったという雲居寺は,桓武の追福のために建てた道場を子の永岑がその遺志を継いで整備したものと伝える。『続日本紀』『延暦交替式』の編纂にも従事。<参考文献>瀧浪貞子『平安建都』

(瀧浪貞子)

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世界大百科事典 第2版の解説

すがののまみち【菅野真道】

741‐814(天平13‐弘仁5)
平安初期の貴族,学者。父は山守。はじめ津連(つのむらじ)であったが,790年(延暦9)百済国貴須王からの系譜と功績を上表して菅野朝臣を賜った。785年安殿親王(平城天皇)の立太子とともに従五位下皇太子学士,796年造宮亮となり,長く平安造都を担当した。797年正四位下左大弁,また初代の勘解由(かげゆ)長官となったらしい。805年桓武天皇が病のおり秋篠安人とともに参議となり,蝦夷征討と平安造都の停止を主張する藤原緒嗣と天下の徳政を相論したが,受け入れられなかった。

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大辞林 第三版の解説

すがののまみち【菅野真道】

741~814) 奈良末期・平安初期の学者。東宮学士・参議・常陸守。「続日本紀」の編纂に尽力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

菅野真道
すがののまみち
(741―814)

平安初期の官人。父は津連山守(つのむらじやまもり)。百済(くだら)からの渡来人王辰爾(おうしんに)の後裔(こうえい)で、初め津連であったが、790年(延暦9)に菅野朝臣(あそん)に改賜姓された。桓武(かんむ)天皇の信任があり、785年安殿(あで)親王(平城(へいぜい)天皇)の立太子とともに皇太子学士となり、長くその任にあった。796年には造宮亮(ぞうぐうのすけ)として平安京の造営に加わり、翌年には『続日本紀(しょくにほんぎ)』撰進(せんしん)の功績により正(しょう)四位下(げ)左大弁となり、この年には初代の勘解由(かげゆ)長官となったらしい。805年(延暦24)に65歳で参議となり、この年12月には32歳の新進公卿(くぎょう)藤原緒嗣(おつぐ)と殿中で天下徳政の相論をし、桓武天皇の政治を評価せんとしたが、天皇の認めるところとはならなかった。平城朝には山陰・東海道両道の観察使となったが、811年(弘仁2)正月に71歳で致仕した。『続日本紀』のほか、その原史料を編んだ『官曹事類』や勘解由長官として『延暦(えんりゃく)交替式』を撰修するなど、当時の良官能吏の代表的人物である。[佐藤宗諄]

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