夕狩沢古戦場跡(読み)ゆうかりざわこせんじようあと

日本歴史地名大系 「夕狩沢古戦場跡」の解説

夕狩沢古戦場跡
ゆうかりざわこせんじようあと

甲斐守護武田信昌と跡部氏が戦ったとされる古戦場。木綿苅ゆうかりとも書き、御前ごぜん山と御厩山の間の沢をいう(甲斐国志)。康正元年(一四五五)九歳で家督を相続した信昌は、守護代であった跡部駿河守明海・上野介景家父子の強盛に永く悩まされたが、この戦いに勝利して実権を掌握することに成功したと伝える。信昌は長禄元年(一四五七)一二月二八日の小河原合戦・馬場合戦で一門の岩崎氏一族を失うなど大敗を喫した(一蓮寺過去帳)。寛正五年(一四六四)の明海の死を契機反撃に転じ、諏訪信満の援軍を得て(守矢満実書留)、翌年七月二日小田野おだの(現牧丘町)を攻め景家を自害させて跡部氏を滅ぼした(王代記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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