外浜通(読み)そとはまどおり

日本歴史地名大系 「外浜通」の解説

外浜通
そとはまどおり

能登街道の間道で、金沢城下高松たかまつ宿(現高松町)を結ぶ。粟崎あわがさき道ともいう。慶応元年(一八六五)の河北郡分間絵図(高樹文庫)によれば、高松村から浜沿いを通り、大根布おおねぶ(現内灘町)の西から砂丘を斜めに横切って向粟崎むかいあわがさき(現同上)へ至り、浅野川左岸を通り金沢堀川ほりかわ町に通じている。「能登名跡志」には、金沢城下の北端七ッ屋ななつや町から粟崎往来一里を経て北間きたま(現金沢市)に至り、須崎すざき(現同上)から舟賃四文の渡しを利用して向粟崎に渡り、黒津舟くろつぶね権現(現内灘町の小浜神社)の森の背後磯際へ出て白尾しろお木津きづ(現七塚町)を経て高松に至る道とあり、難儀な往来だが、津幡つばた通よりは一里近いとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報