日本歴史地名大系 「外目・外海」の解説 外目・外海そとめ・そとめ 長崎県:西彼杵郡外目・外海内目(うちめ)・内海(うちめ)とともに中世から用いられた広域通称名。「ほかめ」ともいう。西彼杵半島の西側、五島灘に臨む一帯で、東手の内目と分ける山嶺に飯盛(いいもり)山・長浦(ながうら)岳・三方(さんぽう)山などがあり、現在の西彼杵郡内の外海町・大瀬戸(おおせと)町・西海(さいかい)町・大島(おおしま)町・崎戸(さきと)町と、長崎市北西部に及ぶ。江戸時代には大村領内の村方支配の四地区の一つとされる。〔戦国期〕フロイス「日本史」にホカメFacome(Focameの誤写)とあり、一五六五年(永禄八年)頃のホカメは万事が平穏であったため、ドン・バルトロメオ(大村純忠)はフィゲイレド師がポルトガル船の庇護のもとにその地に定住できるようにしたという。ヴァリニャーノ「日本巡察記」によれば、バルトロメオの懇請により一五七五年(天正三年)寺社が破壊され、その親族や主要な人々がキリスト教徒になり、短期間に全領民が改宗したので、小さな入海(大村湾)が分ける二つの地域にそれぞれ修院を設けて、三人の司祭と数名の修道士を置いたという。この二地域は内海と外海のことと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by