フロイス(読み)ふろいす(英語表記)Luis Frois

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フロイス」の意味・わかりやすい解説

フロイス
ふろいす
Luis Frois
(1532―1597)

織豊時代に日本で活躍したイエズス会司祭。その日本通信と著書日本史』で知られる。リスボンに生まれ、16歳ごろイエズス会員となってインドに向かい、ゴアザビエルや鹿児島出身のアンジロウらに会った。早くから文筆の才能が認められ、ゴア滞在中にも管区長付として書記を務め、東洋各地からの情報に通じた。1563年(永禄6)に来日、まもなく五畿内(きない)に派遣され、中日本布教長に就任した。織田信長の寵(ちょう)を受け、岐阜、安土(あづち)(滋賀県蒲生(がもう)郡)、京都などで彼と親しみ、その地からの興味深い報告書は、ヨーロッパに送られて広く読まれた。1577年(天正5)からは九州に移ったが、1583年にはローマのイエズス会総長から、「日本の布教史」を執筆するよう訓令を受け、それ以後は、日本副管区長付として、日本年報の主たる執筆者を務めたり、会議において書記の仕事をしつつ、『日本史』と題し、フランシスコ・ザビエル以後の布教史の執筆に専念した。1592年(文禄1)から3年近くマカオに赴いたが、長崎に戻って執筆を続け、1597年(慶長2)7月8日、膨大な『日本史』の原稿行く末を案じながら、65歳で病死した。フロイス書簡や年報はほとんど大部分が早くヨーロッパで刊行され、各国語版が出された一方、『日本史』のほうは、久しく原稿がマカオの修道会倉庫に埋もれたままになり、写本も世界各地を転々としたので、1977~1980年に日本で初めて日本語で活字化されるに至った。

[松田毅一 2018年2月16日]

『松田毅一・川崎桃太訳注『フロイス・日本史』全12巻(1977~1980・中央公論社/中公文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フロイス」の意味・わかりやすい解説

フロイス
Frois, Luis

[生]1532. リスボン
[没]慶長2(1597).5.24. 長崎
ポルトガルの宣教師。 16歳のときイエズス会に入り,ゴアに渡って聖パウロ学院に入学。日本人パウロ・ヤジロー (→弥次郎 ) に会い,F.ザビエルから日本の事情を聞き,永禄6 (1563) 年来日。北九州,京畿地方で布教活動ののち,同 12年織田信長の保護を受け,天正9 (81) 年には越前北庄に高山飛騨守をたずねた。同 14年副管区長 G.クエリョに随行し各地をめぐり,大坂で豊臣秀吉の歓待を受けた。『バテレン追放令』ののちはおもに加津佐,長崎などに住み,慶長1 (96) 年暮れの二十六聖人殉教を目撃してイエズス会に通信を送り (→耶蘇会士日本通信 ) ,まもなく長崎で没した。主著『日本史』『日欧文化比較』。

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