日本歴史地名大系 「多久聖」の解説
多久聖
たくせいびよう
「丹邱邑誌」によれば元禄五年(一六九二)「聖堂御建立ニ付、心遣孫三郎殿被仰付候」とあり、茂文は初め多久孫三郎に建設に伴う心遣を申し付けている。同書にはまた、「地ヲ椎原山西麓ニ定メ玉ヒ、先学校ヲ西ノ渓流ノ東ニ建玉フ。元禄十二年学校先落成ス。聖像ヲ学校ニ安置セラル。後九年ニシテ、宝永五年八月十四日聖殿成就。恭安殿ト号シ聖像
「」「聖殿」「聖堂」のほかに「恭安殿」とも号している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報