保科正光(読み)ほしなまさみつ

改訂新版 世界大百科事典 「保科正光」の意味・わかりやすい解説

保科正光 (ほしなまさみつ)
生没年:1561-1631(永禄4-寛永8)

江戸初期の大名信濃高遠城主保科正直の長子。1582年(天正10),22歳で徳川家康に属する。小牧長久手の戦,小田原征伐に従い,90年下総多胡に1万石を与えられた。93年(文禄2)従五位下肥後守,1600年(慶長5)高遠で2万5000石。両度の大坂の陣の軍功などにより18年(元和4)3万石に加増名家の出と,継母(多劫君)が家康の異父妹であった縁で徳川家3代に寵があり,秀忠の第3子正之を嗣子とした。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保科正光」の解説

保科正光 ほしな-まさみつ

1561-1631 織豊-江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)4年生まれ。信濃(しなの)高遠城主保科正直の長男養母は徳川家康の妹。家康につかえ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,小田原攻めにしたがう。天正(てんしょう)18年父とともに下総(しもうさ)多古(千葉県)にうつる。関ケ原の戦い後,旧領に復し,高遠藩主保科家初代となる。2万5000石。元和(げんな)4年3万石に加増された。寛永8年10月7日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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