コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

保科正光 ほしな まさみつ

2件 の用語解説(保科正光の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

保科正光 ほしな-まさみつ

1561-1631 織豊-江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)4年生まれ。信濃(しなの)高遠城主保科正直の長男。養母は徳川家康の妹。家康につかえ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,小田原攻めにしたがう。天正(てんしょう)18年父とともに下総(しもうさ)多古(千葉県)にうつる。関ケ原の戦い後,旧領に復し,高遠藩主保科家初代となる。2万5000石。元和(げんな)4年3万石に加増された。寛永8年10月7日死去。71歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

ほしなまさみつ【保科正光】

1561‐1631(永禄4‐寛永8)
江戸初期の大名。信濃国高遠城主保科正直の長子。1582年(天正10),22歳で徳川家康に属する。小牧・長久手の戦小田原征伐に従い,90年下総多胡に1万石を与えられた。93年(文禄2)従五位下肥後守,1600年(慶長5)高遠で2万5000石。両度の大坂の陣の軍功などにより18年(元和4)3万石に加増。名家の出と,継母(多劫君)が家康の異父妹であった縁で徳川家3代に寵があり,秀忠の第3子正之を嗣子とした。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

保科正光の関連キーワード小沢忠重織田信益佐久間政実順専正玄正山雪林等木中川重清古田斎宮(初代)

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone