多喜浜村(読み)たきはまむら

日本歴史地名大系 「多喜浜村」の解説

多喜浜村
たきはまむら

[現在地名]新居浜市多喜浜

江戸時代中期の塩田開発によって村地が造成され、多喜浜とよばれた。明治九年(一八七六)多喜浜村となった。もとは東に黒島くろしま、西は垣生はぶ山、南はごう山の三つの丘陵に囲まれ、南から阿島あしま又野またの落神おちがみの三河川が流入する海湾砂州であり、郷・阿島・垣生・松神子まつみこの四ヵ村の地先海面であった。

まず宝永元年(一七〇四)から享保四年(一七一九)にかけて、深尾権太夫らによって、郷村地先一三間浜の塩田が開発され、塩竈屋一軒が建てられた。この事業は中絶したが、その跡地に、享保九年、備後国尾道の天野喜四郎らによって、塩田一一浜、一〇町六反が造成された。造成当時塩浜とのみよんでいたが、のち古浜ふるはままたは西多喜浜とよび、文化元年(一八〇四)西の字を省き、多喜浜と改めた。

次いで享保一八年の享保大飢饉の難民救済のため、西条藩の藩営事業として、喜四郎らの肝煎で古浜の東に石高四二石九斗余の新田と塩浜一七区(初めは二〇区、うち三区はのちに畑となる)三六町一反が開発された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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