多田屋村(読み)たたのやむら

日本歴史地名大系 「多田屋村」の解説

多田屋村
たたのやむら

[現在地名]日高町鶴岡つるおか

円山まるやま川の右岸伊福いふく村の東に位置し、多々谷村と記すものもある。江戸時代の領主中期までは不明。元禄八年(一六九五)には出石藩領(「免相下作之帳」上坂家文書)、以後天保七年(一八三六)まで同藩領として存続するが、同年幕府領となる(宝永三年「仙石政明知行目録」仙石家文書、「御用部屋日記」など)正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図では高一五八石余。前掲下作之帳では高一五七石余。出石封内明細帳でも同高(拝領高一三九石余・改出高一八石五斗余)内訳は屋敷高二石六斗余・麻畑高一石余・田高一三六石六斗余・畑高一六石八斗余、ほかに古新発高五升余・新発高七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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