デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多賀谷弁吾」の解説 多賀谷弁吾 たがや-べんご 1783-1841 江戸時代後期の事業家。天明3年生まれ。家業の製網業をつぐ。父にしたがって淡路(あわじ)(兵庫県)にいき,高田屋嘉兵衛を知る。のち嘉兵衛が蝦夷(えぞ)地に進出したとき漁網を売って成功。郷里安芸(あき)広村(広島県呉市)に製網を普及させ,販路を各地にひろげ「安芸の網売り弁吾」と称された。天保(てんぽう)12年死去。59歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例