夜子沢村
よごさわむら
[現在地名]中富町夜子沢・日向南沢
駿州往還切石・八日市場両宿の間で富士川に注ぐ夜子沢川の上流、西の山根へ七―八町の所に位置する。中世には与五沢と記され、康暦二年(一三八〇)から至徳二年(一三八五)にかけて現身延町南松院蔵の大般若経が書写された曹渓庵の所在地。同庵は現存せず詳細は不明だが、奥書によれば渡辺左衛門尉景忠・若尾左衛門次郎らを檀那とし、写経には住僧希徳・曹源のほか、出羽国の祐恩・京の住人南周らが従事している。他国者の関与から当時の与五沢は河内路の要地であったと推定する説もある。この経典は天文一六年(一五四七)に穴山信友によって修補され、下山(現身延町)の天輪寺に奉納されたと考えられるが、その時点まで曹渓庵が存在したかどうかは不明。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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