朝日日本歴史人物事典 「大伴継人」の解説
大伴継人
生年:生年不詳
奈良時代の官人。左大弁古麻呂の子。宝亀8(777)年6月,遣唐判官(第3等官)として入唐し,翌9年11月に帰国したが,帰路風波によって船が分断,8日間舳に乗り肥後国天草郡(熊本県)に漂着したという体験を持つ。能登守,伯耆守などを経て延暦2(783)年に左少弁。同4年9月,長岡京造営の最高責任者藤原種継の射殺に加わって捕らえられ,即刻処刑された。父も橘奈良麻呂の変(757)の首謀者として拷問を受けて獄死するなど,数多くの辛酸をなめている。応天門事件を起こした伴善男は孫に当たる。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報