コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大伴安麻呂 オオトモノヤスマロ

5件 の用語解説(大伴安麻呂の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

おおとも‐の‐やすまろ〔おほとも‐〕【大伴安麻呂】

[?~714]天武から元明朝にかけての武臣。大伴旅人の父。壬申(じんしん)の乱で功績を立て、大納言大将軍となった。和歌3首が万葉集に収載。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大伴安麻呂 おおともの-やすまろ

?-714 飛鳥(あすか)-奈良時代の公卿(くぎょう)。
大伴長徳(ながとこ)の子。大伴旅人(たびと)の父。壬申(じんしん)の乱で,叔父大伴吹負(ふけい)とともに大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)にしたがい功をたてた。大宝2年朝政にくわわり,兵部卿,大宰帥(だざいのそち)などを歴任。「万葉集」に短歌3首がみえる。和銅7年5月1日大納言兼大将軍で死去。従二位を追贈される。通称は佐保大納言。名は安麿,安丸ともかく。
【格言など】神樹(かむき)にも手は触るとふをうつたへに人妻と言へば触れぬものかも(「万葉集」)

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

大伴安麻呂

没年:和銅7.5.1(714.6.17)
生年:生年不詳
7世紀末から8世紀初の官人。佐保大納言と称す。右大臣長徳の子。旅人,坂上郎女の父。家持の祖父。壬申の乱(672)で,同族吹負らと共に大海人皇子(のちの天武天皇)方につき活躍。天武13年(684)小錦中(五位相当)で新たに都すべき地を調査した。朱鳥1(686)年には直広参で,新羅使を饗すため筑紫に赴いた。次いで天武葬送の殯宮で大蔵の事を誄し,持統2(688)年にも再び誄している。大宝1(701)年直大壱から大宝令制の従三位となるが,任じていた中納言の官は同令で廃止。2年式部卿,3年には朝政に参議し,兵部卿に。慶雲2(705)年には大納言に任じ,大宰帥を兼ねた。和銅1(708)年正三位で再び任大納言の記事がある。この年太政官首脳と共に元明天皇の御前で,子々孫々まで相継ぎて供奉せよとの勅を受けた。7年大納言兼大将軍正三位で没し,深く悼んだ元明天皇から従二位を贈られた。『万葉集』に歌を伝える。

(佐藤信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おおとものやすまろ【大伴安麻呂】

?‐714(和銅7)
奈良時代の歌人。長徳(ながとこ)の第6子。旅人,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の父。672年6月,壬申の乱に叔父の大伴馬来田(まぐた),吹負(ふけい),兄の御行(みゆき)とともに天武側について従軍した。708年(和銅1)元明天皇から藤原不比等らとともに子々孫々供奉し各自努むべき勅を賜う。710年都は平城京に移って安麻呂は佐保川畔に邸を営み,714年5月死去。時に大納言兼大将軍正三位,元明天皇はその死を悼み従二位を贈った。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

おおとものやすまろ【大伴安麻呂】

?~714) 奈良時代の武将・歌人。通称、佐保大納言。旅人の父。壬申の乱に軍功を挙げ、天武から元明の諸朝に仕えた。万葉集に歌を収める。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

大伴安麻呂の関連キーワードピピン大伴安麻呂不法行為式年遷宮新型インフルエンザと学級閉鎖世界と中国の死刑の状況民法の「監督義務」の規定ルース大野東人カール・マルテル