大伴安麻呂(読み)オオトモノヤスマロ

デジタル大辞泉 「大伴安麻呂」の意味・読み・例文・類語

おおとも‐の‐やすまろ〔おほとも‐〕【大伴安麻呂】

[?~714]天武から元明朝にかけての武臣大伴旅人の父。壬申じんしんの乱功績を立て、大納言大将軍となった。和歌3首が万葉集収載

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精選版 日本国語大辞典 「大伴安麻呂」の意味・読み・例文・類語

おおとも‐の‐やすまろ【大伴安麻呂】

  1. 大和時代から奈良時代前期の武将歌人旅人の父。壬申の乱に功をたて、のち大納言兼大将軍となる。歌は「万葉集」に収録生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「大伴安麻呂」の意味・わかりやすい解説

大伴安麻呂 (おおとものやすまろ)
生没年:?-714(和銅7)

奈良時代の歌人。長徳(ながとこ)の第6子。旅人,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の父。672年6月,壬申の乱叔父大伴馬来田(まぐた),吹負(ふけい),兄の御行(みゆき)とともに天武側について従軍した。708年(和銅1)元明天皇から藤原不比等らとともに子々孫々供奉し各自努むべき勅を賜う。710年都は平城京に移って安麻呂は佐保川畔に邸を営み,714年5月死去。時に大納言兼大将軍正三位,元明天皇はその死を悼み従二位を贈った。〈玉葛実ならぬ樹にはちはやぶる神そ着くとふ実ならぬ樹ごとに〉(《万葉集》巻二)。
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朝日日本歴史人物事典 「大伴安麻呂」の解説

大伴安麻呂

没年:和銅7.5.1(714.6.17)
生年:生年不詳
7世紀末から8世紀初の官人。佐保大納言と称す。右大臣長徳の子。旅人,坂上郎女の父。家持の祖父。壬申の乱(672)で,同族吹負らと共に大海人皇子(のちの天武天皇)方につき活躍。天武13年(684)小錦中(五位相当)で新たに都すべき地を調査した。朱鳥1(686)年には直広参で,新羅使を饗すため筑紫に赴いた。次いで天武葬送の殯宮大蔵の事を誄し,持統2(688)年にも再び誄している。大宝1(701)年直大壱から大宝令制の従三位となるが,任じていた中納言の官は同令で廃止。2年式部卿,3年には朝政に参議し,兵部卿に。慶雲2(705)年には大納言に任じ,大宰帥を兼ねた。和銅1(708)年正三位で再び任大納言の記事がある。この年太政官首脳と共に元明天皇の御前で,子々孫々まで相継ぎて供奉せよとの勅を受けた。7年大納言兼大将軍正三位で没し,深く悼んだ元明天皇から従二位を贈られた。『万葉集』に歌を伝える。

(佐藤信)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴安麻呂」の解説

大伴安麻呂 おおともの-やすまろ

?-714 飛鳥(あすか)-奈良時代の公卿(くぎょう)。
大伴長徳(ながとこ)の子。大伴旅人(たびと)の父。壬申(じんしん)の乱で,叔父大伴吹負(ふけい)とともに大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)にしたがい功をたてた。大宝2年朝政にくわわり,兵部卿,大宰帥(だざいのそち)などを歴任。「万葉集」に短歌3首がみえる。和銅7年5月1日大納言兼大将軍で死去。従二位を追贈される。通称は佐保大納言。名は安麿,安丸ともかく。
【格言など】神樹(かむき)にも手は触るとふをうつたへに人妻と言へば触れぬものかも(「万葉集」)

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