大伴馬来田
没年:天武12.6.3(683.7.2)
生年:生年不詳
7世紀後半の官人。吹負の兄。道足の父。望多とも書く。壬申の乱(672)に際し弟吹負と共に病を称して倭(大和)の家に退出し,大海人皇子(のちの天武天皇)側についてその東国行に従った。没すると天武は大いに驚き,その勲功や大伴氏の功を称えて大紫位を贈り,特に鼓吹を発して葬送させた。壬申の乱の功により100戸の食封を賜っており,のち大宝1(701)年中功の功封と位置づけられた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の大伴馬来田の言及
【大伴氏】より
…日本古代の中央有力豪族。姓は連(むらじ)で,684年(天武13)以後宿禰(すくね)となった。伴(とも)は朝廷の各種の職務を世襲的に奉仕する集団で,大伴とは,伴の大いなる者,あるいは多くの伴を支配する伴造(とものみやつこ)の意であろう。記紀の伝承では,天孫降臨のおり,遠祖天忍日命(あめのおしひのみこと)が武装して先導し,神武東征のおりにも,遠祖日臣命(道臣命)が大和への道を先導したという。おそらく4~5世紀の大和政権の発展期に,朝廷の諸機能にたずさわる伴の管理者として成長し,ことに軍事的統率者として頭角を現したものと思われる。…
※「大伴馬来田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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