朝日日本歴史人物事典 「大住院以信」の解説
大住院以信
生年:慶長12(1607)
江戸前期の僧。名人立花師と称された。京都本能寺の塔頭高俊院4世で,日甫上人と敬称される。14代池坊専好に師事し,秘伝書2巻を伝授された。専好の嗣専存に対して「義不是」あっての江戸在住時には,諸大名家などの屋敷に召されて花を立てた。その立花(花瓶に立てる),半胴(丸型の器に立てる),砂物(深鉢・水盤に取り組む)の花形絵が『立花図式』として上梓されている。元禄の時代にふさわしい,華美で艶やかな,自己主張の強い,即興性のある花であった。寛文3(1663)年本能寺開山二百年忌には,「真の高さ二間二尺,横六間二尺」の壮大な松一色の砂物を取り組み,展観。この大作品を幸田露伴は「さばかりのものをこころのまゝに立つるは,胸闊く枝長けたるにあらでは能し難き」と小論『一瓶の中』で評した。<参考文献>森谷尅久「立花の大成」(『いけばな美術全集』4巻)
(岡田幸三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報