大倉谷村(読み)おおくらだにむら

日本歴史地名大系 「大倉谷村」の解説

大倉谷村
おおくらだにむら

[現在地名]日原須川すがわ

須川村南東吉賀よしが川の支流倉谷くらたに川に沿って東に入った山間の村。集落は大倉谷・日浦ひうら下左鐙しもさぶみ大津おおつ十三溢じゆうさんのえきにある。須川村から倉谷川沿いに当村を経て、七曲ななまがりの峠を通って匹見ひきみ(現匹見町)への道は、日原から安芸吉和よしわ(現広島県吉和村)へ至る重要な道筋であった。慶長七年(一六〇二)の検地高八四石余、須川村の枝村であった(「亀井家領郷村高帳」日原町史)。寛永一四年(一六三七)の高九五石余、田八町二反余・畑九町三反余(「検地帳」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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