大八斗村・小八斗村(読み)おおはつとむら・こはつとむら

日本歴史地名大系 「大八斗村・小八斗村」の解説

大八斗村・小八斗村
おおはつとむら・こはつとむら

[現在地名]白子町八斗

中里(なかざと)村の北西に位置し、北部を南白亀(なばき)川が流れる。元禄郷帳などでは八斗村であるが、史料により大八斗村・小八斗村と別に記載される。また天保郷帳には小八斗新田が独立して高付される。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に八斗村とみえ、高三〇五石。正保国絵図でも高三〇五石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では中里組に属し、旗本加藤領八五石余で、同領は幕末まで変わらない。また同所として記載される旗本中川領二八九石余は古所(ふるところ)村に相当するとみられるが、誤記でないとすれば当時八斗村は古所村を含んで把握されていた可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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