朝日日本歴史人物事典 「大内持世」の解説
大内持世
生年:応永1(1394)
室町時代の武将。幼名九郎。官途は刑部少輔,修理大夫。義弘の子。永享3(1431)年の盛見の死後,九州に渡って少弐・大友勢と戦う。翌年,大内持盛との家督争いに勝利し,周防・長門・豊前の守護職を継承。中国,九州の奉公衆や国人を率いて少弐・大友討伐を行い,永享5(1433)年8月に筑前秋月城で少弐満貞を討ち,同8年には豊後姫岳城の大友持直を没落させた。翌9年1月,周防に帰国。11年に将軍足利義教から上洛命令を受けたが,これに従わず,安芸国の所領一所を没収された。同年に朝鮮使節が来日したことを利用し,翌12年2月に対立する少弐氏の満貞の遺子嘉頼の赦免を幕府に認めさせ,上洛した。嘉吉1(1441)年の義教暗殺の場に同席し,そのとき受けた傷がもとで死去。
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報