室町前期の文化を,のちの東山文化に対比していう呼称。室町幕府第3代将軍足利義満が,1398年(応永5)に営んだ北山山荘(鹿苑寺はその一部)に象徴させた,文化史上の用語であるが,猿楽者の十二(じゆうに)五郎太夫康次が世阿弥にあてた1428年(正長1)の書状のなかに,〈北山の時分〉に指導を受けたことを感謝する文面が見えるから(《申楽談儀》),義満の時代を北山で表すのは,早くからのものであったことが知られる。ただし文化史上の時代区分としては,子の義持(よしもち)から義教(よしのり)の時代まで含めてよいであろう。
室町幕府体制の確立にともない,将軍家を中心とする武家文化が形成されたが,その前提に,尊氏による京都開幕以来,多数の地方武士が上洛して集住し,公家の伝統文化に接触したことがあげられる。〈花御所〉こと義満の造営した室町殿をはじめ,この時期までの幕府殿舎に公家の寝殿造が踏襲されているのはその好例である。将軍家が禅宗ことに臨済禅を保護したのは,鎌倉時代の北条氏の立場にならったものといえるが,義満は相国寺を建て,五山の制を定めるなど,格別の理解を示したことから,禅宗文化が発展した。禅僧による儒学の研究や漢詩文が盛んとなり,これを五山文学と称しているが,絶海中津(ぜつかいちゆうしん)と義堂周信(ぎどうしゆうしん)は五山文学の双璧とうたわれた。如拙(じよせつ)や周文(しゆうぶん)などの画僧が輩出したのも,この時期の特徴である。
北山文化には中国文化の影響とその日本化が認められる。唐物・唐絵に対する関心(数寄(すき))はすでに鎌倉時代以来のものであったが,15世紀初頭,義満によってはじめられた日明貿易により多数の唐物・唐絵がもたらされ,いっそう高揚した。唐絵の似絵(にせえ)がつくられて愛好されたのもその一例であるが,唐物・唐絵を飾る場所として書院,押板床(おしいたどこ),違棚(ちがいだな)が造りつけとなり,いわゆる床の間が生まれた意義は大きい。将軍家の場合,唐物・唐絵の目利(めきき)や表装,出納,あるいはそれらをもってする座敷飾に当たったのが,唐物奉行の同朋衆(どうぼうしゆう)で,義満のころからふえはじめ,義持・義教の時代にかけて活躍した。能阿弥によって撰定された《君台観左右帳記(くんだいかんそうちようき)》は,その座敷飾の最初の規式書で,そこに示された座敷飾が,その後における日本人の生活の美意識に与えた影響は少なくない。またこのような唐物で飾った書院座敷で,唐物を用いて行われた茶の湯を書院茶の湯(殿中茶の湯)と称しているが,これも義持から義教の時代にかけて様式的な確立をみた。その茶礼は禅院茶礼を母体としているが,そこでは曲彖(きよくろく)に座るものが,ここでは畳に座る茶礼となっており,日本化している。
義満は猿楽能の観阿弥(かんあみ),世阿弥(ぜあみ)父子や道阿弥(どうあみ)を寵愛し,義持も田楽新座の増阿弥(ぞうあみ),義教は猿楽の音阿弥(おんあみ)を用いた。同朋衆ともども,こうした阿弥号を有する芸能者が将軍に近侍奉仕したのが,公家文化とちがう武家文化の特徴であるが,これら社会的には卑賤視された人たちの参加が北山文化の形成に果たした役割は無視できない。
執筆者:村井 康彦
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室町幕府3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の晩年から、4代将軍足利義持(よしもち)の時代にかけて栄えた文化の総称。後の8代将軍足利義政(よしまさ)の時代の文化が京都の東山山荘(ひがしやまさんそう)(慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく))を中心に開花したので東山文化とよぶのに対して、北山山荘(鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく))を中心に栄えたというのでこのように呼び習わして、双方を室町文化の二つの巨峰とみなしている。
義満は、南北朝合一の翌々年、1394年(応永1)に将軍職を子の義持に譲って、太政(だいじょう)大臣となったが、義持がまだ幼少であったので、幕府の実権を握るとともに公家(くげ)の最高職をも兼ねる立場にたち、絶大な権威のもとで政治を左右しただけでなく、この時代の文化に新生面をもたらした。その影響は義満没後にも及び、応永(おうえい)~永享(えいきょう)期(1394~1441)における室町文化の多彩な発展には目を見張るものがあり、この時代を日本のルネサンスとする説もあるくらいである。
北山文化の大きい特徴は、伝統的な公家文化と新興の武家文化との融合ということ、さらには禅宗の深い影響や庶民文化の洗練ということに示される。代表的な建築とみられ、北山文化のシンボルともされる金閣は、舎利殿(しゃりでん)という仏教的な名称をもち、公家邸宅の伝統にたつ寝殿(しんでん)造と寺院風の仏殿(ぶつでん)造とが一体化して、しかも最高の価値を示す金(きん)で飾られた。またこれに付随していた会所(かいしょ)では、連歌(れんが)や闘茶(とうちゃ)の会が催されたり、日明(にちみん)貿易の舶来美術品である唐物(からもの)が陳列されたり、立花(りっか)(いけ花)が展示されたりした。また文学では五山(ござん)の禅宗寺院を中心とする漢詩文(五山文学)が主流を占め、絵画では宋(そう)・元(げん)の影響を受けた水墨画が流行した。さらに芸能では、もともと庶民芸能の一つであった猿楽(さるがく)が、ほかの芸能の美点をも吸収しながら、義満や公家の二条良基(にじょうよしもと)らの保護を被った世阿弥(ぜあみ)によって能楽(のうがく)へと大成された。
[横井 清]
『林屋辰三郎著『日本 歴史と文化 下』(1967・平凡社)』
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室町前期に形成された文化。足利義満が京都北山に営んだ邸宅(現,金閣寺)をシンボルとするので,この呼称がある。伝統的な公家文化を摂取しながら新興の武家文化が成立しつつあった時期にあたる。漢詩文に秀でた禅僧たちによる五山文学,如拙(じょせつ)や周文(しゅうぶん)による水墨画,義満の庇護をうけて高い芸術性を獲得するに至った観阿弥・世阿弥の猿楽能などによって特徴づけられる。室町中期に形成された東山文化と対をなす。
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