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北山文化 きたやまぶんか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北山文化
きたやまぶんか

室町時代,3代将軍足利義満が京都北山に営んだ山荘(→北山殿)を中心に展開された文化。室町時代中期に発展した 8代将軍足利義政東山文化に対していう。義満は幕府の組織を整え,南北朝の統一を実現し,室町幕府の最盛期を現出した。花の御所(→室町殿)を営み,との国交が回復して大陸文化が流入すると,義満を中心に芸能が盛んになった。このような北山文化は,従来の公家的なものと武家的なものとを融合したところに特徴がある。その代表的なものは,北山殿の一部に営まれた金閣(→鹿苑寺)である。貴族の寝殿造と武家造の風格,そして禅寺の静かな落ち着きが混然融合して統一のとれた建築美を示し,周囲の林泉美と調和している。芸能面では,幽玄と花(華麗)の 2要素を根底とした能楽が観阿弥世阿弥によって大成され,義満の保護のもとに芸術的大成を遂げた。文学面では,京都,鎌倉五山の禅僧を中心とした学問,いわゆる五山文学の興隆がある。義堂周信絶海中津春屋妙葩,性海霊見(しょうかいりょうけん)らが出て,宋学をきわめ,詩文に長じ,宗教,学問のみならず,政治,外交の面でも重用された。その他,明兆如拙らの出現による宋元風水墨画の勃興,茶の湯の源流としての闘茶の盛行などがあげられる。

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デジタル大辞泉の解説

きたやま‐ぶんか〔‐ブンクワ〕【北山文化】

室町初期、第3代将軍足利義満のころの文化。伝統的公家文化と武家文化の融合が進み、また、日明貿易などを通じ中国文化の影響を受けて水墨画五山文学発達。義満が京都北山に営んだ山荘にちなんでこの名があり、義政時代の東山文化に対していう。

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百科事典マイペディアの解説

北山文化【きたやまぶんか】

足利義満時代の文化。義満の京都北山山荘(鹿苑寺はその一部)に代表されるところからこの名がある。広義には室町時代前期の文化をさす。伝統的公家文化と新興の武家文化,これに禅宗文化が融合し,学問・文学では五山文学が主流を占め,絵画でも水墨画が発達,建築でも禅宗様(唐様建築)が流布した。

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世界大百科事典 第2版の解説

きたやまぶんか【北山文化】

室町前期の文化を,のちの東山文化に対比していう呼称。室町幕府第3代将軍足利義満が,1398年(応永5)に営んだ北山山荘(鹿苑寺はその一部)に象徴させた,文化史上の用語であるが,猿楽者の十二(じゆうに)五郎太夫康次が世阿弥にあてた1428年(正長1)の書状のなかに,〈北山の時分〉に指導を受けたことを感謝する文面が見えるから(《申楽談儀》),義満の時代を北山で表すのは,早くからのものであったことが知られる。

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大辞林 第三版の解説

きたやまぶんか【北山文化】

足利義満の頃を中心とした室町初期の文化。義満が山荘を営んだ京都北山にちなんでこの名がある。禅宗を背景とした武家文化と公家文化との融合を特徴とし、五山文学や水墨画が盛行。 → 東山ひがしやま文化

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北山文化
きたやまぶんか

室町幕府3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の晩年から、4代将軍足利義持(よしもち)の時代にかけて栄えた文化の総称。後の8代将軍足利義政(よしまさ)の時代の文化が京都の東山山荘(ひがしやまさんそう)(慈照寺銀閣(じしょうじぎんかく))を中心に開花したので東山文化とよぶのに対して、北山山荘(鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく))を中心に栄えたというのでこのように呼び習わして、双方を室町文化の二つの巨峰とみなしている。
 義満は、南北朝合一の翌々年、1394年(応永1)に将軍職を子の義持に譲って、太政(だいじょう)大臣となったが、義持がまだ幼少であったので、幕府の実権を握るとともに公家(くげ)の最高職をも兼ねる立場にたち、絶大な権威のもとで政治を左右しただけでなく、この時代の文化に新生面をもたらした。その影響は義満没後にも及び、応永(おうえい)~永享(えいきょう)期(1394~1441)における室町文化の多彩な発展には目を見張るものがあり、この時代を日本のルネサンスとする説もあるくらいである。
 北山文化の大きい特徴は、伝統的な公家文化と新興の武家文化との融合ということ、さらには禅宗の深い影響や庶民文化の洗練ということに示される。代表的な建築とみられ、北山文化のシンボルともされる金閣は、舎利殿(しゃりでん)という仏教的な名称をもち、公家邸宅の伝統にたつ寝殿(しんでん)造と寺院風の仏殿(ぶつでん)造とが一体化して、しかも最高の価値を示す金(きん)で飾られた。またこれに付随していた会所(かいしょ)では、連歌(れんが)や闘茶(とうちゃ)の会が催されたり、日明(にちみん)貿易の舶来美術品である唐物(からもの)が陳列されたり、立花(りっか)(いけ花)が展示されたりした。また文学では五山(ござん)の禅宗寺院を中心とする漢詩文(五山文学)が主流を占め、絵画では宋(そう)・元(げん)の影響を受けた水墨画が流行した。さらに芸能では、もともと庶民芸能の一つであった猿楽(さるがく)が、ほかの芸能の美点をも吸収しながら、義満や公家の二条良基(にじょうよしもと)らの保護を被った世阿弥(ぜあみ)によって能楽(のうがく)へと大成された。[横井 清]
『林屋辰三郎著『日本 歴史と文化 下』(1967・平凡社)』

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