朝日日本歴史人物事典 「直川智」の解説
直川智
江戸初期の甘蔗栽培者,奄美大島焼内間切の横目。大和浜の人。名は嘉和智とも。慶長年間(1596~1615)に中国福建省で製糖技術を習得,サトウキビを秘かに持ち帰り,大和浜西浜原で初めて黒糖を作った人物とされる。明治13(1880)年に大阪で綿糖共進会が開かれた際,川智が追賞,子孫で出品者の直嘉和誠も表賞され,翌14年川智を祭神とする開饒神社が大和村思勝に建立された。しかし奄美糖業の琉球よりも早い慶長年間創始説は,維新後不振を極めた奄美黒糖生産振興のため唱えられたものと考えられている。実際は,川智は藩命により「黍作植付,砂糖製法の稽古のため」元禄2(1689)年から4年まで本琉球(沖縄)に渡っている。この製糖法は喜界島,徳之島に広がり,藩財政の大黒柱となる黒糖専売制が延享2(1745)年の換糖上納令を画期にスタートする。<参考文献>所崎平「糖業創始 慶長年間説への疑問」(『奄美郷土研究会報』8号)
(原口泉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報