大和田庄(読み)おおわだのしよう

日本歴史地名大系 「大和田庄」の解説

大和田庄
おおわだのしよう

深野ふこの(現大東市)淀川のほぼ中間点に位置し、庄域は近世常称寺じようしようじ村・横地よこち村・打越うちこし村・野口のぐち村一帯にあたるとみられる。

寿永三年(一一八四)四月六日の池大納言平頼盛家領目録(「吾妻鏡」同日条)に「麻生大和田領河内(中略)以上女房御領」とある。源頼朝が、平頼盛領は平家没官領に含めず安堵したものであるが、これ以前に当庄の本所が女房こと建春門院平滋子であったことが知られる。頼盛が当庄を寄進して本所と仰いだもので、承久三年(一二二一)一一月一七日の関東下知状(久我家文書。以下とくに断りのないかぎり同文書による)や寛喜元年(一二二九)六月日の平光盛所領処分状には、建春門院の御願寺最勝光院法華堂領大和田庄とみえる。一方領家職は、池大納言家領相伝系図によって、池禅尼から子の平頼盛、その子光盛と伝領されたことが知られる。本所への上分物は、承久四年二月二日の法眼定誉請文に「大和田庄御年貢檜皮事、検納寺家可令修造御堂」とあり、檜皮と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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