日本歴史地名大系 「八箇所」の解説
八箇所
はつかしよ
- 大阪府:門真市
- 八箇所
明応二年(一四九三)初め、将軍足利義稙(義材)による義就の子基家討伐の河内出陣が決定的となったため、北野社別当寺松梅院は当所の回復を策し幕府に働きかけた。一方幕府奉公衆四番頭の畠山政近は八箇所の代官職を請負うことを望み(同書同年二月六日・同一一日条)、直務支配を望む社家と対立した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明応二年(一四九三)初め、将軍足利義稙(義材)による義就の子基家討伐の河内出陣が決定的となったため、北野社別当寺松梅院は当所の回復を策し幕府に働きかけた。一方幕府奉公衆四番頭の畠山政近は八箇所の代官職を請負うことを望み(同書同年二月六日・同一一日条)、直務支配を望む社家と対立した。
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