日本歴史地名大系 「大唐内村」の解説 大唐内村おがらちむら 京都府:綾部市大唐内村[現在地名]綾部市老富(おいとみ)町 大唐内栃(とち)村の北、若狭街道から西北に分れた谷間に位置する。北方の三国(みくに)岳は若狭・丹後との国境。三国岳の西方胡麻(ごま)峠を越えて丹後国加佐郡多門院(たもんいん)村(現舞鶴市)に至る。村の西方木和田(きわだ)峠を越えて畑口(はたぐち)谷の市志(いちし)村に通ずる。中世は上林(かんばやし)庄の地。地名は天文年間(一五三二―五五)の勧進奉加帳(光明寺文書)に「大唐内」とみえるのが早い。江戸時代は山家藩領。公的には於見谷(おおみだに)村のうちに含まれるが、正保二年(一六四五)の江戸表差出控(「菅沼謙蔵手控」木下家蔵)では高四六石余、貞享検地によれば二一七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by