日本歴史地名大系 「大垣御厨」の解説 大垣御厨おおがきのみくりや 兵庫県:出石郡出石町大垣御厨奥小野(おくおの)から袴狭(はかざ)付近にあったと推定される伊勢神宮領御厨。保元年中(一一五六―五九)に設立。初見は治承三年(一一七九)六月の日付をもつ袴狭薬師堂本尊の木造薬師如来坐像の銘文で、「大垣御厨所」とみえ、願主僧慶延はじめ下司散位源家弘、「公文□東方部助宗」、惣追捕使散位源孝遠・定使品治重宗以下約五五名の氏名が記される。結縁者は当御厨の住人とは限らないが、下司・公文・惣追捕使は当御厨の庄官、定使は伊勢神宮から派遣された使とみてよく、治承頃の庄官名などが判明するのは貴重である。ただし銘文のうち肝心の「大垣御厨」の読解に疑問を呈する意見もあり(出石町史)、この薬師如来坐像が移動してきた可能性もある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報