日本歴史地名大系 「大塩保」の解説
大塩保
おおしおほ
府中の南、日野川西岸の大塩谷一帯に成立したと考えられる保。元弘三年(一三三三)一二月日付の八幡宮神主清原泰景愁状(八幡神社文書)に「欲早為本所御沙汰被止地頭新儀、弥致御祈請忠勤、当保鎮守八幡十禅師御権現神田無先例国衙検注勘料用途、自地頭方被切宛難堪事」とみえる。この愁状によると本所は不明であるが、大塩保鎮守の八幡社(現
文明四年(一四七二)の朝倉孝景執達状(「岐阜県徳山村史」所収徳山文書)に
とあり、朝倉孝景の越前平定に従軍した美濃の国人、徳山氏に当保の宛行われたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報