大妻コタカ(読み)オオツマ コタカ

20世紀日本人名事典 「大妻コタカ」の解説

大妻 コタカ
オオツマ コタカ

明治〜昭和期の家事評論家 大妻学院(現・大妻女子大学)創立者。



生年
明治17(1884)年6月21日(戸籍:11月20日)

没年
昭和45(1970)年1月3日

出生地
広島県

旧姓(旧名)
熊田 ユタカ

学歴〔年〕
神奈川師範卒

主な受賞名〔年〕
勲三等宝冠章〔昭和39年〕

経歴
宮内省御陵係の大妻良馬と結婚。明治41年手芸裁縫の私塾大妻技芸伝習所を開き、大正8年私塾は高等女学校に発展。昭和17年さらに大妻女子専門学校設立にこぎつけ、現在の大妻女子大学となる。戦前は良妻賢母型教育の代表校。戦時中は婦人団体幹部で活躍したため、戦後公職追放され、解除後校長に復帰した。39年第1回生存者叙勲で勲三等宝冠章を受章

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大妻コタカ」の解説

大妻コタカ おおつま-コタカ

1884-1970 明治-昭和時代教育家
明治17年6月21日生まれ。43年東京女子技芸教授所をつくり,手芸・裁縫をおしえる。大正5年大妻技芸学校を設立。のち高等女学校,専門学校を設置。戦後公職追放解除後,大妻女子大学長となった。昭和45年1月3日死去。85歳。広島県出身。神奈川師範卒。旧姓は熊田。著作に「ごもくめし」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大妻コタカ」の解説

大妻 コタカ (おおつま こたか)

生年月日:1884年6月21日
明治時代-昭和時代の家事評論家
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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