大宝神社(読み)だいほうじんじや

日本歴史地名大系 「大宝神社」の解説

大宝神社
だいほうじんじや

[現在地名]栗東町綣

旧中山道に沿う交通の要地に鎮座祭神素盞嗚すさのお尊・稲田姫いなだひめ命。旧郷社。境内摂社は追来おうき神社・稲田姫(旧名は十禅師宮)など七社。古くは大宝天王だいほうてんのう社・今宮応天いまみやおうてん宮と称した。追来神社を「延喜式」神名帳の栗太くりた郡「意布伎イフキノ神社」に比定する説がある。当社勧請以前からの地主神であったが、弘安六年(一二八三)に建造された追来神社の神殿棟札写(社蔵文書、以下同文書は省略)に「若宮殿御造替事」とあり、この頃摂社となり、主祭神が交替したと考えられる。当社神主は弘安元年一一月二六日の紀年銘のある当社本殿棟札写に「当神主小槻俊実」とみえ、同三年一二月二一日俊実の神主職譲状によれば、神主職は小槻氏の「父祖相伝の職」とされ、俊実から子定茂に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む