大尼田城跡(読み)おおにたじようあと

日本歴史地名大系 「大尼田城跡」の解説

大尼田城跡
おおにたじようあと

[現在地名]芦北町大尼田

大尼田集落北西にそびえる、集落との比高三〇〇メートル余の山稜大石原おおいしばるが城跡と伝えるが、山頂にはなんの遺構も発見されず、城跡とは考えがたい。しかし葉山はやま集落から谷伝いに登り詰めた所に城下じようしたの小名が残り、城主が住んだと伝える洞穴もある。大尼田にある五輪塔の一基に天正七年(一五七九)年号があり、白米洗馬伝説や鏑矢伝説が残ることから、中世土豪の存在も考えられる。安政六年(一八五九)の浅野家代々覚書(浅野文書)によれば、浅野家の先祖は相良氏家臣で、大尼田城主であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む